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岡山県教育委員会 教育長からのメッセージ(令和4年度)

印刷ページ表示 ページ番号:0849520 2022年4月4日更新教育政策課

教育長メッセージ

 「教育の目的」とは 

 皆様、こんにちは。岡山県教育委員会教育長の鍵本です。
 令和4年度のスタートに当たり、御挨拶を申し上げます。

 新型コロナウイルス感染症の状況は、残念ながらまだ終息という言葉とは程遠い状態です。しかしながら、私たちはできないことを嘆くのではなく、今できることに感謝しつつ、こうした状況の中で子どもたちに「どんな力を付けていけばいいのか」ということを、教育に関わる多くの皆様といっしょに考えながら、本県教育を前進させてまいりたいと考えております。

 さて、私は教育長に就任以来、ずっと自分に問いかけてきたことがあります。それは、「教育の目的」とは何かということです。そして、それは本県の教育を推進した結果、どういった若者を育てて社会に送り出していきたいのかということでもあります。このことは、教育施策の根幹をなす重要な問いであり、教育に携わる多くの皆様といっしょに、私たちが目指すべき「仕事の目標」でもあります。

 我が国の教育に関する根本法である「教育基本法」にはこう書いてあります。

 

 (教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 この教育基本法は、平成18年に改正されましたが、改正前の条文も含め、私が教育学部の学生であった頃から慣れ親しんだ文章です。しかし、私は学生であった頃から、冒頭に出てくる「人格の完成」という言葉が、どうも分かるようで分からなくて、ずっともやもやした気持ちをもっていました。
先日、立命館アジア太平洋大学学長の出口治明先生が執筆された「『教える』ということ」という本を読みましたが、その中に出口先生もこの教育基本法第1条「教育の目的」について書かれていました。この部分を読み、「やはり、そうか」と、先生が言われることと私の思いが一致し、意を強くするとともに、長年の曇りがすっと晴れていくような思いがしました。

 その答えは、こうです。私たちが目指す教育の目的である「人格の完成」とは、「自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の意志で行動できること」です。
 こう言うと、私の話を何度も聞いている人は、「それ、教育長がいつも言っていることじゃないですか」という言葉が返ってきそうです。私は、これまでも「岡山県の教育では、どんな子どもたちの育成を目指すのですか」と聞かれた時には、マイプロジェクトアワード中四国大会で出会った高校生の発表の姿が忘れられず、「大きな舞台でも、自分の夢を堂々と語れる、あんな高校生をいっぱい育てていきたいです」と答えてきました。そして、これは今本県で進めています「夢育」にもつながっています。
 長年、探し求めてきた「人格の完成」という言葉の答えは、よくよく考えてみれば、自分がいつも口にしていた言葉の中にあったということです。
 では、どうやって「自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の意志で行動できる」若者を育てていくのでしょうか。

 一昨年、本県の教育委員会事務局に勤務している職員で、「Most Likely to Succeed」というアメリカのカリフォルニアにある高校「High Tech High」を舞台にしたドキュメンタリー映画を視聴し、そこで行われている教育について自由に語り合う会を開催しました。この映画の中で私が最も印象に残った言葉に「その答え」はあります。
 この「High Tech High」という高校は、課題解決型学習(Project Based Learning、以下PBL)を学校の教育活動の中心に据えたとても特徴的な学校でありますが、この学校で担任をされているアギーレという先生が映画の中でこう話しておられました。

 

生徒に一度も判断をさせないなら、判断力なんて育つわけがない。高校の数年間を、教室でおとなしく座って、ただ教科書の内容を暗記して、反復するだけで、自分で何も判断せずに過ごし、社会に出たとたんに「さあ決めてもらおう」と言われたら、「今まで何も決めたことがないのに、そんなことできません。」と言うしかない。

 つまり、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の意志で行動できる力(=判断力)を育てるには、判断する場(=自己決定する場)を設けること以外にその方法はないと言うのです。
 私も全く同感です。「人格の完成」のためには、子どもたち自身に考える機会を与え子どもたち自身で決めさせる経験が、どうしても必要です。
 「子どもを主語にした」とか「主体的、対話的で深い学び」とか、中教審答申や学習指導要領で言われている様々なキーワードも、全てはこの一点につながっているように、私には思えます。

 今年度、岡山県教育委員会では、課題解決型学習(PBL)のガイドブックを、小・中学校版と高校版をそれぞれ作成し、全ての学校に配布するとともに、県教委のホームページでも公開することとしています。
 各学校では、総合的な学習(探究)の時間はもちろんですが、各教科の授業や学校生活の様々な場面で「自己決定の場」を設けることで、自分で判断できる子どもたちを育てていきたいと考えています。そして、社会教育や御家庭においても、自分で考え自分で決める経験をする中で、意欲や自信、自制心などの「非認知能力」を子どもたちに養っていって欲しいと考えており、県教委では、こうした取組をしっかりと支援してまいります。

 教育基本法第1条「教育の目的」には、もう一つ大切なことが書いてあります。それは、「国家・社会の形成者として必要な資質を育成」することです。
 「国家・社会の形成者として必要な資質を育成」するとは、どういうことでしょうか。私は、こう理解しています。「社会で生きていくための最低限の知識」を、全ての子どもたちに、誰一人取り残すことなく身につけさせることです。
 「社会で生きていくための最低限の知識」とは、小学校、中学校、高校と発達段階に応じて次第に広がっていきますが、読むこと・書くこと・計算することから始まり、世の中の仕組みに関することまで、子どもたちがこの世の中で生きていくために必要な知識や技能であり、「生きていくための武器」になるものだと考えています。
 つまり、「自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の意志で行動できる」判断力をもつために、その基盤である「生きていくための武器」となる知識・技能をきちんと子どもたちにもたせましょうということです。

 そして、この「生きていくための武器」は、各学校の授業の中で、子どもたちはその一つひとつを身につけていくことができます。本県の学校が、これまで「授業改善」に力を入れて取り組み、誰一人取り残すことなく、基礎基本となる知識・技能をしっかりと子どもたちに身につけさせようと努力してきたこととつながります。
 しかし、残念ながら「授業改善」の取組は、未だ道半ばと言わざるを得ません。どの子もよく分かる授業、誰一人取り残さない授業を目指して、本県では各学校の校長先生の「リーダーシップ」のもと、先生方は周りの先生と語り合い、ともに高め合っていく「授業研究の風土」を御自身の学校に作ろうと努力してきましたが、さらにこうした「授業に磨きをかける努力」を続けていかなければなりません。
 こうした努力の積み重ねによって、岡山県の学校の授業の水準は上がり、どの子にもよく分かる魅力的な授業となり、一人ひとりの子どもたちに「生きていくための武器」としての知識・技能が、確実に身についていくと私は信じています。

 こうした「教育の目的」を達成するために、私たち岡山県の教育に携わる人間の一人ひとりが、指示待ちではなく、自ら考え主体的に動いていくことが必要です。「自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の意志で行動する」ことは、子どもたちばかりでなく、私たち自身にも求められているのです。
 私も全力で取り組んでまいります。
 皆様のお力添えを、今年度もよろしくお願いいたします。

 

                                                    令和4年4月1日

岡山県教育委員会教育長 鍵本 芳明