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津島ミュージアムだより 第五回「想定以上に密集した遺構の検出と発掘調査の苦労」
第五回「想定以上に密集した遺構の検出と発掘調査の苦労」
想定以上に密集した遺構の検出と発掘調査の苦労
平成10年に陸上競技場周辺で行った第一次確認調査の成果によって、陸上競技場調査区にも集落が広がっていることはある程度、想定されていました。しかし、調査に入って最初に驚かされたのが地表下1メートルの所で竪穴住居・土杭・柱穴などが大量に見つかったことでした。
さらに、この集落の縁辺で見つかった幅50メートルの川の斜面には、おびただしい量の土器・木器・木製品が見つかりましたが、喜んでばかりではいられません。
発掘調査は期間と予算が決まっているので、計画段階の予想を超える遺構の密度と出土品の量は調査の難易度を上げることとなり、当初の調査計画は変更を余儀なくされました。大変なのは、これだけではなく、発掘現場作業は屋外作業なので、気候に左右されるといった側面もあります。
この調査のピークは7月から9月にかけての夏の炎天下であったため、作業は酷暑との戦いともなりました。発掘調査の担当者としては作業に当たる職員の安全に配慮しつつも、作業効率を上げることが求められました。
結局のところ調査は何とか期間内に収まり、最終的には80軒を超える竪穴住居を中心に建物や100基近い土坑群・無数の柱穴群・1500箱相当の土器と1300点を超える木器などを発掘し、ここでは弥生時代後期から古墳時代にかけて継続して営まれていた集落の存在とそこでの生活の一端を明らかにすることができました。
(ミュージアムスタッフ S)
河道の調査風景から 出土品で足の踏み場もない発掘現場
(出典)津島遺跡 発掘調査・40年のあゆみ (2004年 岡山県教育委員会)