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桑山5号墳・勝負峪遺跡・高尾北ヤシキ古墳 津山市平福

更新日:2021年3月26日更新

その3(令和3年3月26日更新)

 10月から調査を行っている高尾北ヤシキ古墳は、6世紀末に造られた直径約13mの円墳です。埋葬施設は南東方向に開口する無袖式の横穴式石室と竪穴式石室です。横穴式石室の規模は残存長約7m、最大幅約2m、最大高約2mであり、奥壁には高さ約2m、幅約2mの大きな石材を使用していました。石室内には、陶棺<とうかん>が1基置かれており、その隣からは筒形土製品<つつがたどせいひん>が横倒しになった状態で発見されました。この筒形土製品はその形態から煙突<えんとつ>であったと考えられます。石室内からはその他に須恵器<すえき>、土師器<はじき>、馬具<ばぐ>、鉄鏃<てつぞく>などが見つかりました。このうち、石室の南西隅では須恵器の杯や壺、提瓶などが重なり合った状態で検出されました。これは追葬時に集められたと考えられます。また陶棺内には鎺<はばき>・鞘尻<さやじり>といった刀装具、刀子<とうす>、ガラス小玉が納められていました。

 一方、天井石で覆われた竪穴式石室は長さ約2m、幅約1mの大きさで、床には数cmほどの礫<れき>が敷き詰められていました。床面からは西側の小口で須恵器の杯身と杯蓋が床面に伏せられた状態で見つかり、その周囲で銀貼りの耳環<じかん>1組が発見されました。こうした状況から、この須恵器は枕として使用されたものと考えられます。また、東側の小口には紡錘車<ぼうすいしゃ>が置かれており、それより石室中央に近い部分ではガラス小玉が散らばっている様子が確認されました。調査は3月で終了しました。

上空から撮影した高尾北ヤシキ屋敷古墳が写っています。
高尾北ヤシキ古墳の全景

高尾北ヤシキ古墳の横穴式石室が写っています。
開口部から見た横穴式石室の様子

出土した陶棺と筒形土製品が写っています。
横穴式石室内の遺物出土状況

見つかった竪穴式石室が移っています。
竪穴式石室の検出状況

竪穴式石室から見つかった出土品が写っています。
竪穴式石室内の須恵器と耳環の出土状況

 

その2(令和2年9月18日更新)

 勝負峪遺跡と併行して4月から調査を行っている桑山5号墳は、6世紀後半につくられた直径約10mの円墳です。古墳のまわりに掘られた周溝<しゅうこう>の中からは埴輪が多く出土しました。
 埋葬施設は、全長約7mの横穴式石室で、遺体がおさめられた玄室<げんしつ>の中からは、約100点もの土器が出土しました。なかでも玄室入口付近に置かれた装飾須恵器<そうしょくすえき>や鈴付き須恵器は珍しいものです。装飾須恵器は高さ約46cmで、口が大きく開く壺の下に高い脚<きゃく>が付き、壺の肩の部分にはミニチュアの壺が10個並んで付けられています。また、鈴付き須恵器は、高さ約18cmの高杯<たかつき>の脚内部に玉を入れて鈴としているもので、手に持って振ると「カラカラ」と音がします。このような特殊な土器は祭祀に用いられたもので、当時の埋葬儀礼の一端をうかがうことができます。石室内からは、土器以外にも武器や馬具、碧玉<へきぎょく>・水晶・ガラスの玉などが出土し、多彩な副葬品の内容が明らかになりました。

桑山5号墳を上から見た様子
桑山5号墳全景

桑山古墳群の周囲をめぐる溝から埴輪がたくさん出土しています
周溝内埴輪出土状況

石室の中からたくさんの遺物が出土しました
横穴式石室内遺物出土状況

小さな壺が付いた装飾須恵器と鈴がついた須恵器高杯が写っています
装飾須恵器(左)と鈴付き須恵器(右)

その1(令和2年6月12日更新)

 4月から調査を行っている勝負峪遺跡では、弥生時代中期と古墳時代後期の段状遺構<だんじょういこう>などを確認しました。
 段状遺構とは斜面を削って平坦面を作ったもので、平坦面の山側には溝が掘られています。 
 弥生時代中期の段状遺構では、柱穴が数本見つかり、その中から少量の土器とともに1~2cm程度の大きさの石のかけらが数多く出土しました。これはサヌカイトと呼ばれる石材で、石器によく使われることから、この段状遺構では石鏃<せきぞく>などの石器を製作していたと思われます。 
 古墳時代後期の段状遺構からは、土師器や須恵器の小片とともに大きさが5~8cm程度の鉄滓<てっさい>が見つかりました。床面に熱を受けた痕跡があり、鍛冶<かじ>作業が行われていた可能性もあります。

弥生時代中期の段状遺構
弥生時代中期の段状遺構

古墳時代の段状遺構
古墳時代後期の段状遺構