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備中国分尼寺跡

更新日:2023年7月5日更新

 総社市上林ほかに所在する備中国分尼寺跡は、天平13(741)年に聖武天皇の命令によって、備中国分寺とともに建てられました。

 旧国約60か国ごとに建てられた国分寺・国分尼寺のうち、多くの国分寺は所在が明らかになっているのに対し、国分尼寺は約半分が所在不明あるいは推定にとどまっています。岡山県内でも、備前・美作・備中国それぞれの国分寺跡は国史跡ですが、国分尼寺に限っては、備中国分尼寺跡のみが大正11(1922)年に国の史跡に指定されています。

 寺の周囲を囲む築地跡や、金堂の礎石などが良好に残っていることや、約50年前の発掘調査により、南門南側で幅6mの古道(古代山陽道か)が見つかっていることから、全国的に著名な遺跡ですが、現在まで寺域内の発掘調査は行われていません。

備中国分尼寺跡南門前発掘調査風景
約50年前の南門前の発掘調査風景(東から)
右側に南門礎石(赤矢印)